山梨県内のとある住宅地。手入れの行き届いた美しい庭と、特徴的な屋根が印象的な家に住むのがY様ご一家。元々、東京にお住まいだったというY様が山梨にやってきたのは2008年のこと。山梨という土地を選んだ理由、この家を建てた経緯、これまでのこと、そしてこれからのことについて、Y様ご夫妻にお話をききました。
"本当に住みたい家"が建てられる場所を探していました
「よく"移住ですよね"って言われることがあるんですけど、私たちにとっては自然な"引越"だったんですよ。いわゆる"移住"みたいに、働き方とか生活をガラッと変えたわけではないので」と、語りはじめたのは奥様。「元々、私は建築関係、夫は土木測量関係の仕事をしていて、2人とも都内で働いていました」。
そんなY様がなぜ、山梨に移り住むことになったのでしょうか。「まず、私が建築士だったことが大きかったのかな。"私が本当に住みたい家、建てたい家って、どこだったら実現できるんだろう?" ということを考えるようになりました。でも、都内ではなかなか条件に合う場所がなくて。2人であちこちに土地を見にいくようになって、"広さが足りないよね"とか、"広さが合っても、こんなに家が密集したところに住みたいわけじゃないよね"とか、"2人とも、山とか自然がある場所の方が好きだよね"とか、ちょっとずつ、ほしい家や実現したい暮らしがはっきりしてきて。結局、最終的には、夫が"今の職場にも通えるし、山梨にしよう"と提案してくれたんです」。
"せっかくだから遊びましょう"って提案してもらって。
こうして、山梨への"引越"を決めたY様。今度は、どんなきっかけで匠家を選んだのかについてうかがってみることに。
「土地探しをしながら、同時に、私が設計した家をつくってくれる工務店さんを探していました。それと、肌が弱かったこともあって、"無垢材"と"珪藻土の壁"だけは外せない要素だったんです。その条件で探したら、自然と匠家さんに行き当たりましたね」と、当時を振り返る奥様。匠家の担当者も積極的に奥様の設計の実現に取り組み、共同作業というかたちで誕生したのがこの家でした。
「元々、理想としてイメージしていたのは雑木林の中にひっそりと佇む平屋でした。でも、現実的には難しくて、離れの寝室や庭をつくることで、そのイメージに近づけています」という奥様の言葉通り、玄関から和室、LDK、少し長い廊下を渡って、離れの寝室があるという空間には、平屋のような"1階で生活を完結させる"という動線が組み込まれています。
また、LDKに入るとまず目に入るのが、1階の天井と2階の床とをつなぐ障子。 「匠家さんからは、"せっかくだから遊びましょう"と提案してもらって」と語る奥様。取材中もここから子どもたちが楽しそうに顔をのぞかせていたのが印象的でした。"遊び"という点では、外観にも匠家からの提案があったとか。
「外観についてお願いしたのは、平屋のイメージを残しつつ、周囲の景観に馴染むかたちにしたいということ。でも、互い違いにデザインされた屋根も匠家さんからの"遊びましょう"というご提案から生まれた要素でした」。なるほど、奥様のイメージやアイデアと、それを理解し、実現可能で、かつ、個性を活かしたかたちにしていく匠家の技術。そのふたつの調和がこの家をつくっているということがうかがえます。
風が本当に気持ちよくて
さらに室内の細部を見ていくと、この家にはカーテンがひとつもないことに気づきます。
「東京で最後に暮らしていたマンションが窓が開けられない環境で、基本的に24時間、空調をつけっぱなしにしていないと住めない、季節も時間も感じることができないような部屋だったんです。そこに住んでいたことが、逆に、"どんな家に住みたいか?"ということを具体的にしてくれたんですよ」と、奥様。なるほど、東京での経験がこの家をかたちづくったということがよくわかります。
「だから、この家にはカーテンもエアコンもありません。開口部は全部、格子や障子、引き戸にして、太陽が動いたから、こっちを閉めて、こっちを開けよう......ちょっとした遊びのような感覚で光や風を取り込める暮らしがしたいなって思ったんです。障子から光が透けて見えるのが好きだし、風が本当に気持ちよくて」。
実際、取材にうかがった日は6月初旬にもかかわらず30度を超える暑さ。でも、この家の中はまるで木陰のような心地よい風が流れていました。
帰ってくると、すごく休まるんです
2008年の完成以来、2人のお子さんも生まれ、家族の時間を重ねてきたY様。この家で過ごした約10年間の中で、どのようなことを感じ、楽しんできたのでしょうか。
「確か、3月に完成して4月から住みはじめて、そのときから無垢材と珪藻土の快適さは感じることができましたね。その後、梅雨になるとよりはっきり感じるようになって。その気持ちよさは続いていると思います」という言葉からは、奥様がこだわり抜いた素材への満足度の高さがうかがえます。
「僕は昼間、都内で過ごしているから、特に夏場はなおさら違いを感じますね。扇風機だけで快適だし、帰ってくると、すごく休まるんです」と、話してくれたご主人のもうひとつのお気に入りは坪庭が見えるお風呂。
「今回の家づくりで、僕がやったことは土地探しと、お風呂の希望を出したくらいですからね。お風呂にはこだわっています。広々としたお風呂で、景色を眺めながらくつろぎたかったので」と語るご主人の表情は、なんだかとてもうれしそうでした。
また、この家での時間の流れと、変化を象徴するものとして、庭の存在は大きいようです。「この庭は山梨の造園家の方といっしょにつくっています。かなわなかった "雑木林"のイメージに少しでも近づけたくて。この庭は周辺の風景の一部だと捉えているので、一度に完成させるんじゃなくて、少しずつ育てていくように手を入れ続けています」とのこと。実際に完成直後にはほぼ何もなかった庭が、今では、小さな森のような佇まいを見せています。自然な伸びやかさを残しつつも、美しくまとめられた木々の姿は、奥様がイメージした通り、家の一部、そして風景の一部としてしっかりと根付いているそうです。
子どもたちといっしょに考えて、もっといい家にしたい
さらに、お子さんが生まれたこと、そして奥様のお仕事の仕方が変わったことも、この家で暮らしはじめてから起きた大きな変化でした。
「"遊び"ということでつくった障子は、家ができた後に生まれたこの子たちにも好評ですね。最近は1階の和室を中心に、リビングと2階を行き来しながら遊んでいます。それから、私は個人で仕事をはじめていて、建築士の経験を活かしつつ、家を建てたい人と、家をつくるプロの方との間をつないだり、起業家や経営者の相談役のようなことを手がけるようになりました」という奥様にとって、今やこの家は、子育ての場であり、職場でもあります。
「子どもが生まれる前は、離れの廊下につくった書斎で仕事をしていて、子どもたちが生まれてからはリビングにパソコンを置くようになって、その後、子どもたちが学校に通うようになってからは、また書斎に戻って......と、時間や意識の使い方が切り替えられるのもこの家ならではかもしれません」。
最近では、お子さんからも家についていろいろな意見が出るようになったのだとか。
「長男は大きくなったら大工になりたいらしくて、この家にあれこれ意見を言うんですよ。"僕だったらここはこうしたいんだけどなあ"とか。この家は五感を刺激してくれる家だから、この先、この家のメンバーの一員として意見を出してもらって、いっしょに考えて、もっといい家にしていけたらと思っています」。そう話す奥様の視線の先には、10年、20年先の、生き生きした家族の未来があるようでした。